~御鎮座二千年の越中一宮~
高瀬神社は心の拠り所として 人々の幸せを一途に見守ってきました

第2回:うぶすなの四季 神様とまつりの話

◆いやしけ吉事 歳旦祭(一月)


 天平宝字三年元旦、因幡守の大伴家持は新年宴会で次のような歌を詠みました。

 「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)」

 越中守を辞してから八年後のことですが、年の初めに降っている雪のように、良きことが絶え間なく続くように・・・・という意味です。

 越中守在任中の天平勝宝三年の正月にも、
 「新しき 年の初めはいや年に 雪踏み平(なら)し 常かくにもが」
という歌を作っています。毎年毎年、雪を踏みならして、いつもこのようににぎやかに集まりたいものだ、というのです。

 雪は昔から物ごとの瑞兆とされ、豊年の貢ぎと言われてきました。 降る雪にその年稲の実りを占ったわけです。 小学唱歌「雪」の「雪やこんこん・・・・」という歌詞も「雪よもっと降れ」と、豊作を願う気持が込められているといいます。

 私も大抵は雪積む中で、元旦の午前零時から執り行う歳旦祭の寿詞を神々に奏上しながら、今年も国に栄えあれ、氏子の皆様に幸多かれと心から祈願いたします。 そして、祭りが終わる頃には初詣の人波が引きも切らず、そのざわめきと、かしわ手のこだまを聞きながら、この一年の巡り来る祭りや行事のことどもにこころを馳せるのです。


◆十五の不思議 鏡開きと七五三縄(一月)


 一月十一日は鏡開きで、正月にお供えした鏡餅を下げ、雑煮や汁粉にして食べますが、この行事は本来、一月二十日に行われていました。 ところが三代将軍家光の祥月命日と重なったため十一日に変わったのです。 昔は正月の満月の日である小正月(十五日)を年の初めとし、二十日が正月の祝いの最終日だったので、その日に鏡開きをするのが理屈に合っているわけです。

 鏡餅はしめ縄と深い関係があります。 しめ縄は、締め縄、しりくめ縄、〆縄とも書きますが、藁が向かって右から七本、五本、三本と下がるので七五三縄と書くのが本来です。 天照大神が天の岩戸にお隠れになった際、再びこの地に悪い事件が起こらぬようにと急いで張り巡らしたということですが、これから先は清浄な地であるという境界を示すものです。

 七と五と三を足すと十五になります。 今なら一ダースとか十本が一つの単位ですが、昔は十五で一まとめ、つまり、一把でした。 十五といえば十五夜、十五夜と言えば満月で、その姿のように万事の願い事が満ち足りるよう神様に願いを込めて綯(な)い上げた縄が七五三縄です。

 満月は取りも直さず鏡餅の姿です。 そういうところから、十五夜の月を餅の月、つまり、望月というのです。 月に宿る祖先の霊を餅に宿り籠めるという意味もありますが、こうなると、鏡餅は単なるお供えではなく、御神体そのものといえましょう。

 人が死ぬと三年間はその御霊は荒霊(あらみたま)ですが、五年経つと直霊(なおみたま)となり、七年を経るとその御霊は産土(うぶすな)の神々や祖先の御霊に愛育浄化されて和霊(にぎみたま)となられます。 七、五、三と三つに分かれているのは過去、現在、未来ということにもなり、神社のお祭りの紋が三つ巴であるのも神様に過去、現在、未来をかけて御守護をお願いするからです。

 また、七五三の「三」は自分と妻と子供、「五」はそれに両親が加わり、「七」は更に妻の両親を入れた数を示しています。

 神社には社木があり、白太(白身)の部分と赤太(赤身)の部分がはっきりした木・・・・檜(ひのき)や松、杉、欅(けやき)などを主に植えてあります。 白太は赤太の保護をしており、焼けたり削られたりしても赤太は自己防衛はできませんが、白太がそれを巻いて虫が入らないようにガードするのです。

 赤太もかつては白太でした。 白太は毎年、赤太になっていくのです。 つまり、赤太は昨日まで働いていた人で、もう太ることはできません。 これが親なのです。

 「親」の字は「立って木を見る」と書きます。 ところが近頃あちこちに団地ができていますが、そこに入居する半分は長男と見ていいでしょう。 親を捨てて白太だけが団地へ行く。 木は赤太によって決まります。 赤太がないと白太だけでは木の価値はありません。 赤太は若い時に苦労した、試練を経た方々の魂です。 それが、赤太だけで白太がないのですから、転がったら転がったままで起こしてくれる者がいない。 これが現在の日本の姿だと思うと情けない気がしてなりません。

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