~御鎮座二千年の越中一宮~
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第3回:うぶすなの四季 神様とまつりの話

◆心臓を守る 左義長(一月)

 小正月の一月十五日の前夜、正月に飾った門松、しめ飾り、書き初めなどを焼く左義長の行事が行われます。 どんど焼きともいいますが、左義長とは「左ぎっちょ」ということです。

 元来、右手は表の手で、平生はこれを使います。 それに対して左手は、右手だけでは力の足りないときに助けてくれるとっておきの手、つまり「奥の手」です。 「奥さん」というのも、家の中にいて、主人だけで間に合わないときに出てくるからなのです。 もっとも近頃は、初めから主人を差し置いて飛び出してくる「奥さん」が多いようです。

 左手を使うと心臓が前に出ることになりますから、むやみに使うわけにはいきません。 右手を前へ出し、左を奥にするのが人間の自己防衛の基本です。 武士は刀を左の腰に差しました。 いかなる相手でも自分の左側へ来ないようにする事が武道の原則でした。

 左義長では一月十四日の夜に全てのものを燃やし、火はしまってしまいます。 これを「火伏せ」といいます。 そして、十五日の朝、新しい火を作るのですが、火打ち石で点火するとき、普段は石を左手に、金を右手に持って擦りますが、このときは石を右手に、金を左手に持って打ちます。 左手の方が尊ばれるからです。

 欧州やアフリカでは右は善で左は悪という考え方のようで、これは孫に教わったことですが、英語のライト(右)には「正しい」という意味もあるそうです。 インドやインドネシアでは、ものを手づかみで食べますが、必ず右手を使い、左は不浄の手で、排泄の処理に用います。

 これに対して中国は左優位の文化といわれ、日本も左を上位に置いてきました。 伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)が国産みをされたときも、伊奘諾尊が天の御柱を左へ巡られました。 また、天照大神は伊奘諾尊が禊(みそぎ)で左目を洗った際にお生まれになったのです。 現在でも、二人並んで座る場合、座っている人から見て左側が上座とされています。 これは先ほど述べたように、左手で心臓を守るため、表の手の働く右側で他人と接する方がよいからです。

 なお、現在は車は左側、人は右側通行ですが、昔は左側を歩くことになっていました。 これは左の腰に付けた刀がお互いにぶつかわないようにしたためと、相手が右から来た方が刀を抜きやすいからで、イギリスでも同じです。 ところが、アメリカでは右腰にピストルを差すので右側通行が決まりとなり、その影響が今の日本の交通規則に表れているのです。

 さて、十五日の朝は新しく起こした火で小豆粥を食べますが、鍋の中を苗代のような形にし、団子で蛙や蚯蚓(みみず)や蝸牛(かたつむり)を作って入れ、 勝木(かつき)(漆の一種、ヌルデ)の鍬(くわ)や鋤(すき)で田を起こしたり、均したりする真似をします。 これは勝木の棒を粥に差して引き上げ、棒に付いた飯粒の多い少ないで秋の豊作を占う粥占(かゆうら)の行事の変化したものだと思われますが、これらの動作をするときも「奥の手」である左手を使います。

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