~御鎮座二千年の越中一宮~
高瀬神社は心の拠り所として 人々の幸せを一途に見守ってきました

第6回:うぶすなの四季 神様とまつりの話

◆米は「たから」 祈年穀祭(六月)

 聖武天皇の御代、五年もの長い間、虫害で米の不作が続いたので、天皇の勅命により国々の一の宮に勅使が下向、稲虫(蝗(いなご)など)の駆除を神々に祈願されました。 高瀬神社では約千二百年前の六月十日のその日を良き日と定めて、今日に至るまで祈年穀祭を執り行ってきました。

 高瀬の大神に忌み火を作って奉納し、その火を遠方の人は長い火縄、近郷の人は短い火縄に移して持ち帰り、田植えの終わった水田の畦で松根に火をつけて害虫の駆除をしました。 誘蛾灯の原形です。 その後、松根が石油に、さらに水銀灯に変わりましたが、高瀬神社では今もなお県下で唯一のこの行事を大祭として続けており、その日は砺波地区の農業協同組合協議会長が斎服を着て祭事に奉仕されることになっています。

 現在では田植えは機械植えで四月末から五月上旬に行うようになったので田植え祭りは行いませんが、昔は六月十日というのは、田植えが終わった後の安息日で「休み事」といい、村中が寄って「炒(い)り菓子盆」をしました。 炒り菓子を娘の嫁ぎ先へ持って行ったりしたほか、温泉へ出かけたり、みんなで酒を飲んだりしたものです。

 さて、二宮金次郎の歌に

金銭は使ひ果たせば人のもの手に付く業は宝なりけり
 というのがあります。

 田というのは手=掌(たなごころ)をいうのです。 手で作るから田んぼなのです。 また、田に入って力を出すので「男」という字ができ、「田から」とれる米は大変貴重なので「たから(宝)」というのです。 祈年祭の祝詞にも「手肱(たなひぢ)に水泡(みなわ)かきたり、向腿(むかもも)に土かき寄せて 」(手の肱に水の泡が下がり、両方の腿に泥が寄りついて・・・・)とありますが、由植えの苦労は大昔から大変なものでした。


◆左上位の世界 大祓(六月)


 「払い」というのは穢(けが)れ、汚いものなど目に見えるものをはらうことですが、「祓い」は日に見えない魂をはらう、悪いものと知りつつたまっていたものをはらうことをいいます。

 罪、穢れ、禍言(まがごと)といいますが、罪は「積み」で、長い間、知らず知らずのうちにたまったものをいいます。 穢れは「気枯れ」で、やる気がなくなったことです。 禍言は「まこと」の間に「が」(我=自分)が入って「不吉な言葉」になったものです。

 大祓は六月と十二月の晦日に営まれますが、これは半年ごとに穢れをはらって生命を更新する行事です。 六月三十日の大祓は名越または夏越の祓ともいわれ、「なごし」は「和し」で、神の心を和ませることです。

 この日は各神社で茅の輪(ちのわ)くぐりが行われますが、茅というのはチガヤともいい、屋根を葺くのに用いられるイネ科の植物です。 大祓のとさは「智茅」と書きます。 茅の輪はそれを束ねたもので、輪をくぐることで罪、穢れをはらうのです。

 茅の輪は、実は天孫降臨の際の猿田彦の持つ軍配のようなもの、あるいは槍の先についた矛旗が、茨の道から茅の道を通って来たために八ツ手のように裂けてばらばらになった姿を表しているということです。

 祓いをするとき、幣(ぬさ)を左→右と振りますが、例えば、転んでよごれた手をぱっぱっと払うときも左→右→左と叩く。 事故現場などを見てウワーッと手を振るのも左→右→左です。 左義長のところで触れたように左が上座なのです。

 しめ縄も二本の縄を左から絢(な)い始めます。 左手を手前に引いて絢うわけです。 この左に巻き上がる渦の形が神前を飾るしめ縄の基本の形です。 そして、向かって右側、神様の左側を頭にして縄を張るのです。

 人間で体にしめ縄を付けているのが相撲の横綱ですが、力士たちは土俵入りの際、土俵を左回りに回ります。 盆踊りの輪も左回りだし陸上競技も左に回ります。 更に言えば、地球の自転も北極側から見ると左回り、太陽系の惑星も同様に左回りです。 時計の針が左回りだというと不思議に思われるでしょうが、時計自身としては左に回っているのです。

 左上位の話題はこのように尽きることがありません。

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