~御鎮座二千年の越中一宮~
高瀬神社は心の拠り所として 人々の幸せを一途に見守ってきました

第10回:うぶすなの四季 神様とまつりの話

◆アポロ飛行士 月見(九月)

 陰暦八月十五日(陽暦九月下旬)の月は「中秋の名月」として全国で月見が行われます。 神社では一月に月を祀る祭礼はありますが、この時期には特に行事を行いません。 しかし、その時分になると何となく空模様が気にかかるから不思議なものです。

 芒(すすき)を飾り、団子を供えて月の出を待つのが一般的な月見の風景ですが、昔は銀紙を貼った厚紙を月の形に丸く切り抜いて真ん中に置きました。 それを目印に月を呼び寄せたわけです。 つまり、月見というのは月読命(つくよみのみこと)をはじめとする神々や祖先の御霊をお迎えする祭りだったのです。 月の出を「待つ」というのは「祭り」の「まつ」だという学者の説もあります。

 月といえば兎、兎といえば大国主大神がお助けになった因幡の白兎のことが頭に浮かびます。 あの鰐鮫(わにざめ)に丸裸にされ、大神の優しい御心によって元通りになった兎も月に昇って餅をついているかもしれません。

 日本のことかインドの伝説か忘れましたが、こんな話を思い出します。 大昔、天の神様が老人の姿で森に行き、動物たちに食べ物を乞うたところ、狐や狸は何がしかのものを探して来ましたが、兎は何も見付けることができず、「私自身を召し上がってください」と燃え盛る火に身を投じました。 神様はいたく憐れにおぼしめし、兎の亡骸(なきがら)を抱いて天に戻り、そのまま月に住まわせたということです。

 このようにわれわれが祖先を思い、夢を描く月に、人間がロケットで行く時代になりました。 砺波市中野に藤井四行さんという方がおられました。 俳句や俳画をよくし、
「一人減り二人減りして月落ちぬ」
という句碑も残っていますが、アメリカがアポロを月に打ち上げたときに、次のような手紙を頂戴しました。

 「長生きをしてとんだ目にあいました。 八十年間も絵に描いたり、句に詠じたり、信仰したり、あるときは涙で見上げたり、踊り唄ったあのお月さんが、アメさんの要らざるいたずらから、何の変哲もない死の固まりだったと裏書きされては、月なんか消えてしまえ!と叫びたくなりました」  これを読んで私も全くその通りだと思ったのですが、その後しばらくして新開にこのような記事が載っていました。

 「アポロ14、15号の月着陸船パイロットだったミッチェル海軍大佐とアーウィン空軍大佐の二人が、米宇宙局の職も軍務も全部離れると発表したが、その動機は、月の世界へ行った結果、『科学を越えた世界』に目を開かされたためという。 ミッチエル大佐は超能力の研究をしたい意向だし、アーウィン大佐はキリスト教の伝道に尽くしたいと、熱意に燃えている。 そして、月へ行ったおかげで、今までより信仰が深くなったし、地球というもののはかなさをよく知ることができたとしみじみ語っている」

 科学の花形ともいうべき二人の宇宙飛行士が月の世界で何を見たのか、何を感受したのかは分かりませんが、おそらくは科学では説明できない霊感のようなものを感じたのでありましょう。

 戦後の日本は物質文化の花が咲き乱れ、昭和元禄などと浮かれていましたが、今やバブルの崩壊とやらで気息奄々(えんえん)たる有り様です。

 元来、精神文化と物質文化は一本のものなのに、いつの間にか別々の道を歩き出しています。 いわゆる文化人の中にも、自分の意志で生まれてさたわけではないのに、みずから日本人として誕生したかのようなことをいう人が多いのには驚かされます。 そのあたりに日本の精神文化の退歩が感じられてなりません。

 四行先生が生きておられたら、どうおっしゃるでしょうか。

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