~御鎮座二千年の越中一宮~
高瀬神社は心の拠り所として 人々の幸せを一途に見守ってきました

第21回 座談会 秀直翁を囲んで

◆山に生きる

藤井(秀直)
冬というものが厳しいほど春は楽しい。 つらい目にあわないことには後が楽しくないんです。 そりゃ生活が苦しいこともありました。 息子を仕込まないといけない、娘を嫁に出す、逆に嫁さんをもらう・・・・そういうことはいっぺんに来るもんです。 その費用には山の木を切るしかないんだが、切った後に苗木を植えるのがまた、金がかかった。

小谷
この辺の者はみな、山で生きてきたんです。

藤井(秀弘)
おやじと炭焼きをしていたことがありますが、子供ながらになんとこの人は要領がいいのかと思った。 母親と私で山から三俵ほどかついで下りて、また上がっていってかついでくるという「かつぎ出し」というのをやるんですが、父親は最初に二俵だけかついで下りていって、そのまま家へ帰ってしまうんです。

藤井(秀直)
終戦後、マッカーサーが神社をつぶしてしまうという心配があって、それにはどうしたらよいか考えたんです。 おやじは中風で寝てるしね。 結局、山にいる者は山に生きるしかない。 そこで、利賀から炭焼きを呼んで、炭を焼かして売ったんです。 統制経済の時代でしたがね。

藤井(秀弘)
杉の苗も植えました。 車で朝晩、赤目谷から人足を送り迎えして・・・・。 ただ、山をきちんと管理するには、春先は雪で倒れた木を起こしたり、秋になると枝打ちをしたりと、いろんな始末が面倒でした。

岩倉
山といえば、こちらの氏子は山間部が多いので大変だと聞いていましたが、この間、秀弘さんの車で山田からずーっと一緒に回らしてもらって、神主さんというのは祝詞を読んで太鼓を叩いておればよい楽な職業だと思っていたけれども、考えを改めました。 まして昔は車もなく、全部歩いてでしょう。

藤井(秀弘)
まず八尾へ行って、室牧まで全部務めて、山田の谷へ下りて赤目谷の三か所をすませて、次の日に鍋谷で四か所務めて、牛嶽の上で祭りをして、下って湯山の大祭をして、やっと解放されるんです。 人里を歩くのはまだいいが奥の方に入ると、歩いても歩いても家がなくて、しまいにいやになってきますよ。

山森
秀一じいさんが山へ行って、一週間くらいかかって帰ってくると、疲れているので機嫌の悪いことおびただしかった。

藤井(秀直)
おやじは自分自身で行けなくなってからも山のことが気がかりで、祭りから帰って報告をしに枕元に行くと、村の様子を尋ね、誰かれの消息を聞くわけです。 「あのおやじは何か言ってなかったか」と言われて「別に何も・・・・」と言おうものなら「お前が聞かないからだ」と叱られるし、早く帰れば「何しに行ってきた」、遅くなれば「何をもたもたしていた」。 最後に「よし」と言われるまでは着物も脱がせてもらえず、夏なんかは汗が流れっぱなしでひどかった。

岩倉
いろいろと貴重なお話を伺ってまいりましたが、しめくくりに小谷さんからひとつ。

小谷
私は前の宮司さんの銅像はどこにどうしてあったか知らないんですが、それを復元することも大事だが、今の宮司さんは若い人の気持を察していろいろ指導していただいていて、それをまた、自分たちの生活の指針にしている人も多いもんだから、なんとかして銅像を建ててもらえないかというのが私の一念でした。 幸い皆さん方のご協力と岩倉さんのお骨折りで具体化して、氏子の方々にも異議はなく、喜んでいる次第です。

藤井(橘)
藤井宮司さんは前から「自分よりも父親のを」とおっしゃっているようですが、二体できれば本当に言うことはありませんが、まず今の宮司さんのを立派に作り上げてから、またいろいろ相談していきたいと思います。 ご協力ありがとうございました。

藤井(秀直)
戦争が終わろうとする時分に、おやじの銅像が井波の駅頭に置いてあったのが目に焼きついて離れません。 それをなんとかして復元したいと思っていたのですが、みなさんから「もうお父さんの姿を記憶している者はあまりいないし、子供の姿は親の姿だというから」とおっしゃっていただいて、たいへんありがたいことと思います。 私はそういう銅像などを作っていただける人間ではないのですが、悪いところがいっぱいあったのを祓い浄めていただいた姿だと思って感謝申し上げます。 私が駄目になっても息子が精神を継いでいってくれると思いますので、今後もご尽力、ご支援を賜りたいと存じます。

岩倉
藤井宮司の銅像建立について、非常に大勢の方々からご支援を賜り、大変喜ばしいことと存じます。 その宮司さんの人間性を知るうえで、きょうのみなさんのお話が何かのよすがになることを願って、座談会を終わらせていたださます。 長時間、ありがとうございました。

(平成八年三月三十日、庄川町庄の藤井宮司宅にて)


小谷太平次さんは、平成八年八月十四日、逝去されました。 この座談会の折にはお元気だったので未だに信ずることができません。 幼い頃からの友人であり、雄神神社の責任役員としても不断の御助力を賜りました。 今回の銅像建立についても人一倍心を砕いてくださっていたのに残念でなりません。 御霊安かれと祈るばかりです。


淋しさに 鎮守の杜に独り来て 逝きし翁を しみじみ憶ふ
藤井 秀直

「神のまにまに」の連載は今回で終了いたします。
約1年間にわたりご愛読ありがとうございました。
引き続きあとがきをお読みください。

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