高瀬神社のご案内

高瀬神社のご案内 Guide

    御祭神

  • 主 神

    大国主大神
    ~福の神・縁結びの神
     国土開拓・農耕の神・医薬医療の神~

    配 祀

    天活玉命
    ~無病息災・延命長寿の神~
    五十猛命
    ~農林殖産・交通安全 厄除・病気平癒の神~

    末 社

    神明宮 天照皇大神
    風 宮 級長戸辺命
    稲荷社 宇迦之御魂大神
    天満宮 菅原道真公

    功霊殿

    南砺市・砺波市・小矢部市及び、高岡市一部出身の戦没者、地方開拓の功労者を祀る

    御神徳(神様の功徳)

  • 御神徳

     主祭神の大国主大神は福の神・縁結びの神様です。この神様は素戔嗚尊の御子にて、出雲の国より越中の国にお渡りになり、悪神を平げ国土を開拓して、農耕医術の法をお授けになるなど、民生の安定に広大な御徳を残しになりました。
     天活玉命は生玉の神とも申し、天孫降臨のとき供奉せられ、人の命を活し給ふ神様です。五十猛命は植林事業に、殊に御高徳な神様です。

  • 歴史

    歴 史

     御鎮座は遠く神代の昔、また景行天皇11年の御代とも云われています。社伝に御祭神が北国御開拓の折、この地に守り神を祀り、国成りおえて後、自らの御魂をも鎮め祀られ、出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてきました。
     越中国の人々は勿論、朝廷の崇敬も厚く、天武天皇の御代に勅使を派遣され、光仁天皇の宝亀11年に従五位、文徳天皇の斉衝元年に従三位、また同年、祢宜、祝等に把笏を許さる。貞観元年に正三位、その後も順次累進、治承4年に正一位を授かりました。
     また社頭荘園多く又皇室の御領に宛てられたこともあり、神子屋鋪・鎌倉屋鋪・大宮司田・神子畑等、近傍に残る地名によって、往時の盛大さを偲ぶことが出来ます。
     戦国時代には社頭荒廃し、見るに忍びない状態となりましたが、前田藩主の崇敬厚く漸次神威昂揚せられて、明治6年に県社、大正12年に国幣小社に昇格されました。
     大正13年には摂政の宮の御使が参向され、大正14年には皇后陛下より「神ながらの道」を奉献され、昭和3年の御大典、昭和16年の宣戦また昭和20年の終戦には勅使の参向がありました。

  • 創祀伝承

    創祀伝承

    「在昔、大己貴命北陸御経営ノ時、己命ノ守リ神ヲ此処ニ祀リ置キ給ヒテ、ヤガテ此ノ地方ヲ平治シ給ヒ、国成リ竟ヘテ、最後に自ラノ御魂ヲモ鎮メ置キ給ヒテ、国魂神トナシ、出雲ヘ帰リ給ヒシト云フ。」(高瀬神社誌15~16頁)
    「此御神は住昔高麗より御渡り、此地へ御着の日7月14日なりと、御神御足袋を濯せ給ふ流を、たび川と名つけ、此川の辺に暫時御休み、高瀬へ御移の間、俄に雨降、御神雨をくくると仰られしと也。よって其処を、今に雨潜村といふ也。其後毎年たひ川の辺御休の処へ御旅行なされ、其処を宮守と唱へ、今以江田村領を流るる也。」(越之下草3頁)

暦朝皇紀年号摘要出典
天武134194月
越中砺波郡気多大明神奉勅使献綿200純依災蝗
類聚国史巻第137
三州志来因概覧巻一引
文武1366慶雲32月
甲斐、信濃、越中、但馬、土佐等ノ國ノ119社
始メテ祈年幣帛ノ例ニ入ル
続日本紀
光仁1440宝亀1112月
射水郡二上神 砺波郡高瀬神並叙従五位下
続日本紀巻第36
桓武1455延暦148月
高瀬神 雄神 二上神叙従五位上
日本紀略巻9
仁明1500承知79月
越中國砺波郡従四位下高瀬神 射水郡二上神並
従四位上
続日本後記巻第9
文徳1514斉衡13月
越中國高瀬二上両神 並加従三位
12月 高瀬、二上神等祢宜祝預把笏
文徳実録巻第6
清和1519貞観1正月
奉授越中國砺波従三位高瀬神 二上神並正三位
三代実録巻第2
清和1521貞観3奉授勲一等再建記
醍醐1587延喜式日
越中國砺波郡高瀬神社
延喜式
堀河1763康和56月
御體御卜ニ高瀬神々事ヲ穢シ奉ルニ依リ使ヲ遣ハシ中祓ヲ科シ祓清奉仕セシメラル
朝野群戴6
史籍集覧本
高倉1840治承412月
正一位(兵革 諸神同叙)
源平盛衰記
後村上2010正平5
観応1
6月
御體御卜ニ神事ヲ穢シ奉ル御タヽリアリト使ヲ以テ社司ニ中祓ヲ科セシメラル
宮主秘事口傳
後亀山
後小松
2050元中7
明徳1
本願寺五世綽如井波別院創立勧進帳ニ当社ノ事ヲ記ス瑞泉寺国宝勧進帳
称光2066応永13庄川大洪水ニテ高瀬ヲ経て河崎村ニ至リシヲ野尻川ニ入ルコトヽナル越中史料
後土御門2141文明133月
一向一揆ニテ福光城主石黒光義ヲ破ル
此頃祢宜藤原秀卓一揆ノタメ兵火ニ罹リ書類焼亡ス
瑞泉寺記録帳 越中史料
神社誌55頁
後奈良2192頃天文年中祢宜藤原秀仲雄神神社(雄神村)へ移住旧神職藤井氏家系
光格2443天明3拝殿改築
神主秀直功アリ
神社誌36頁
仁孝2485文政86月
因州支封若桜藩主隠居松平冠山版物奉納
仝  49頁
仁孝2446天保7本殿改築武部、松井記録
光源寺萬留帳
仁孝2499天保103月
御遷宮祭
此年神社修理入用ノ儀以来郡内負担ニテ支出トナル
光源寺萬留帳
仁孝2500天保11本殿屋根等普請ニ付村役人一同拝参ノコト戸出河合文書
明治2530明治37月
金澤藩祈年穀祭奉幣
9月 金澤藩の報祭アリ 此年10村御扶持人八咫鏡
及御すまるの玉奉献
臨時御祭礼一件其他
明治2533明治68月
県社ニ列セラル、爾後経費ハ郡費支出
旧記
明治2544明治174月
例祭一度奉幣ノ旨達セラル
コレヨリ毎年奉幣使参向
神社記
明治2546明治196月
相馬郡長祈年穀祭神火分与ヲ始メラル
11月 コノ報祭ヲ行ハル
旧記
明治2562明治366月
神火分与実地視察ノタメ知事李家隆介氏参拝
書翰
大正2583大正126月16日
國幣小社ニ列格被仰出、8月26日奉告祭
勅使トシテ富山県知事伊藤喜八郎氏参向
27、8両日慶賀祭執行社頭大ニ賑フ
官報 祭典記録
大正2584大正1311月
石川富山両県下大演習の際 御代拝トシテ侍従子
祭典記録
祭典記録
大正2585大正147月
皇后陛下ヨリ『神ながらの道』奉献アラセラル
祭典記録
昭和2588昭和311月
大嘗祭当日勅使御差遣 知事代理野田学務部長
参向アリ
祭典記録
昭和2593昭和88月26、7日
御昇格満10周年祭執行
祭典記録